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佐倉市の文化財-寺院

[2018年2月6日]

ID:5029

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飯野観音 <いいのかんのん> = 東徳寺  (飯野)

 飯野山東徳寺は、延命地蔵を本尊とする真言宗豊山派の寺院で、「飯野の観音様」の名で知られています。 東徳寺は鏑木町の大聖院の門徒でした。
  『古今佐倉真佐子』からは、馬が農耕や運搬等に大きく貢献していた時代の信仰と当時の縁日のにぎわいの様子がうかがえます。 本堂前には、藩の馬術師範であった都鳥重成<ととり・しげなり>をはじめ、門人一同の名が刻まれた賽銭箱が奉納されており、馬の守護神として藩士が篤く信仰していたことがわかります。

円応寺 <えんのうじ>  (臼井田)

  瑞湖山円応寺は、釈迦牟尼仏を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院です。 円応寺所蔵の「円応寺草創記」によれば、歴応元年(延元3年、1338)に臼井氏中興の祖である臼井興胤<うすい・おきたね>により創建されたとされます。 開山は竹若丸(後の興胤)を養育した鎌倉建長寺の仏国国師とならび、陰で臼井家の再興を支えた仏真禅師で、師の恩に報いたものです。 以来、臼井氏の菩提寺として崇敬されてきました。
  寺領は広く風光明媚で知られ、臼井城跡とともに「城嶺夕照」として臼井八景の一つに数えられました。
  文禄2年(1593)に酒井家次が臼井に居城のとき城とともに消失したものを後に再建したものです。

海隣寺 <かいりんじ>  (海隣寺町)

千葉山海隣寺は、阿弥陀如来を本尊とする時宗の寺院です。 相模国藤沢(神奈川県)の無量光寺の末寺で、鎌倉時代から戦国時代前期までは馬加<まくわり、千葉県幕張>にありました。
  海上に浮かんでいた金色に輝く阿弥陀如来像(海上月越如来)が引き上げられ、その像を安置するために下総国千葉城主 千葉勝胤<ちば・かつたね>により建立されたと伝えられています。

海隣寺中世石塔群へ 

光勝寺 <こうしょうじ>  (臼井)

  臼井山光勝寺は、阿弥陀如来を本尊とする時宗の寺院です。 臼井氏一族の初期の頃の菩提寺として崇敬されてきたものを、臼井城主 臼井祐胤<うすい・すけたね>が相模国藤沢の遊行寺二世真教上人が当地を廻国した際に、真言宗から時宗に改宗したと伝えられます。
  天正18年(1590)に臼井城が落城した後、道場作の地から現在地に移りました。 この台地からは印旛沼が望め、臼井八景の一つ、「光勝晩鐘」に数えられ、景勝地として知られました。

実蔵院 <じつぞういん>  (臼井台)

  大沢山実蔵院は、不動明王を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。 創建年代については不明です。
  寺宝の木造阿弥陀如来坐像と絹本著色釈迦涅槃図は、市指定有形文化財です。
  また、明治36年(1903)から昭和17年(1942)まで私立明倫中学が開かれ、地域の教育に貢献しました。

勝胤寺 <しょういんじ>  (大佐倉)

 常歳山勝胤寺は、釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院です。享禄5年(天文元年、1532)に元佐倉城主 千葉勝胤<ちば・かつたね>が華翁祖芳和尚を開山として招き創建したと伝えられます。
  千葉氏滅亡後の天正19年(文禄元年、1592)には徳川家康より寺領20石を与えられました。 この寺領については検地帳(勝胤寺)に、境内の建造物の記載があり、かなり大規模な寺域であった様子がわかります。
  寺域には中世石塔群があり、この寺の由緒の古さを伝えています。

正光寺 <しょうこうじ>  (畔田)

  正光寺は、阿弥陀如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。
  延文3年(正平13年、1358)の創建と伝えられます。 古くは字坊谷津にあったものを天保4年(1833)に現在の地に移したとされますが、明らかではありません。
  境内の薬師堂には木像薬師如来像が安置されています。 この薬師如来像は、「千葉県印旛郡誌」によれば、創建の際安置されたということですが、詳しいことは分かっていません。

甚大寺 <じんだいじ>  (新町)

  安城山不矜院甚大寺は、不動明王を本尊とする、市内唯一の天台宗寺院です。 院号の不矜院は、貞享元年(1684)に従兄弟稲葉正休に刺殺された堀田正俊の法号に由来します。
  南光坊天海大僧正により出羽国山形城下に創建され、元禄14年(1701)に山形藩主 堀田正虎が再興したと伝えられます。延享3年(1746)に山形藩主 堀田正亮<ほった・まさすけ>が佐倉へ移封するにともない、佐倉の現在地に移されました。 寛政年間(1789から1801)に佐倉藩主 堀田正順<ほった・まさあり>により勧請された金比羅大権現は、毎月10日の縁日に多数の人で賑わいます。

千手院 <せんじゅいん>  (井野)

  稲野山千手院は、千手観音を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。
  天平年間(729~49)に、臼井石神(稲荷台4丁目)に創建されて蓮華王院金剛般若寺と号し、のち明徳3年(1392)に僧澄秀が兵乱に遭うことを恐れ、大檀那の小竹五郎高胤<おたけごろうたかたね>に願って当地に移転し、千手院と改称したと伝えられます。

宗徳寺 <そうとくじ>  (臼井田)

  長谷山宗徳寺は、般若船観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院です。 臼井氏の後に臼井城主となった原氏の菩提寺で、応永10年(1403)に小弓城主 原胤高により下総国小弓郷柏崎に創建されました。 元亀元年(1570)に原胤栄<はら・たねよし>が臼井城主となって以後のある時期、臼井城の周囲に配置されていた砦の一つである手繰砦の麓、長谷津(南臼井台)に移転され、この地にあった長谷山龍雲寺を合併しました。
  宗徳寺の「権現水」という清水は、昔この地に徳川家康が狩に訪れた際この水を賞味し、寺領10石を賜ったことに由来する名であると伝えられます。

大聖院 <だいしょういん>  (鏑木町)

  大和田山大聖院は、大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院で、本尊木造大日如来坐像は市指定文化財です。
  井野の千手院の末寺であった大聖院は、密蔵院(寺崎)、玉泉寺(岩名)、正福寺(土浮)、勝蔵院(鏑木町)を末寺とし、東元寺(鏑木町)、新照寺(太田)、西福寺(大篠塚)、玉蔵院(神門)、宝鏡院(木野子)、鏡宝寺(六崎)、普門院(六崎)、養福寺(長熊)、円照寺(佐倉城内の椎木曲輪)、東徳寺(飯野)、医王院(飯野)を門徒としていました。

長源寺 <ちょうげんじ>  (臼井田)

  龍沢山長源寺は、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院です。 天文19年(1550)12月から臼井城主にあった原胤貞<はら・たねさだ>が永禄12年(1569)5月に死去すると、胤貞の子で下総国生実<おゆみ、千葉市中央区生実町>城主にあった原胤栄<はら・たねよし(1551から89)>が、翌元亀元年(1570)に臼井城へ移りました。 長源寺は、この年の12月に胤栄が道誉上人(1515~74)を開山として招き、臼井城下の長源寺山(台地先端は臼井田宿内砦跡)に創建した寺院で、のち山裾の現在地に移されました。

妙覚寺 <みょうかくじ>  (臼井台)

  長谷山妙覚寺は、釈迦如来を本尊とする日蓮宗の寺院です。 長享2年(1488)の創建とされ、開山は日泰上人と伝えられます。 日泰上人は、奈良や比叡山に学び、後に関東に下って布教を続け、下総国浜野に本行寺を、臼井の地に妙覚寺を開山しました。 上人の活動では、土気、東金城主の酒井定隆を教化し、領内を法華宗に改宗させたという、いわゆる「七里法華」が房総の仏教史上特筆されます。
  境内には佐倉・雷電顕彰会によって建立された江戸時代後期の力士、雷電為右衛門の顕彰碑があります。

宝金剛寺 <ほうこんごうじ>  (直弥)

 皓月山宝金剛寺は、金剛界大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。 
 由緒によると、鎌倉時代初期の建仁3年(1203)に、将軍源頼家が北条時政を奉行に命じ創建させたと伝えられます。 開山は覚済僧正といわれています。 天正18年(1590)に、徳川家康により北条氏勝が岩富城主に封じられると、この寺を崇敬し、大檀那として数々の寄進をしています。氏勝が寄進したもののうち、七条袈裟・横被 牡丹唐草模様、七条袈裟・横被 亀甲梅椿模様、三鱗紋蒔絵四重椀の三点が岩富城主北条氏勝寄進資料として市の指定文化財になりました。宝暦元年(1751)の「宝金剛寺由来記」には、氏勝が寄進した品々が記されています。

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