佐倉市平和式典を執り行いました

更新日:2023年08月17日

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令和5年度 佐倉市平和式典

 令和5年8月15日(火曜日)、市役所1号館2階ロビーにおいて「佐倉市平和式典」を開催し、戦争で亡くなられたかたがたの追悼と、世界の恒久平和を祈念しました。
 市内中学生の代表からなる「第26回佐倉平和使節団」は、台風の影響により、予定していた長崎訪問を実施できませんでしたが、代替プログラム「佐倉平和使節団ピースセッション」の活動報告を行いました。
 当日、ライブ配信した式典の様子は、下記からご覧いただけます。

内容

【内容】
 1 正午を合図に1分間の黙とう
 2 市長による「平和への誓い」
 3 「佐倉平和の鐘」の鳴鐘
 4 佐倉平和使節団による活動報告

西田市長による「佐倉平和の鐘」の鳴鐘

西田市長による「佐倉平和の鐘」の鳴鐘

第26回佐倉平和使節団活動報告

 私達22名の佐倉平和使節団は、8月9日に、広島・長崎で被爆された方の講話を伺い、78年前の出来事や原爆の恐ろしさ、命の尊さについて学びました。

 8月9日の午前中に行われた長崎 原爆犠牲者 慰霊平和祈念式典の中継を私たちはライブ映像で見ました。私達平和使節団も参加者全員で黙祷し、平和の祈りを捧げました。

 式典の中の平和宣言は、強く訴えるような話し方で、「核兵器」という言葉が何度も出ていました。長崎の方々は、「命輝く青い世界を未来に残していくために、自分の目で被爆地を見て、被爆者の声に耳を傾けてほしい。長崎を最後の被爆地にしてほしい」と訴え続けていました。

 午後には、戦争についての講義や被爆体験講話を、中村紘さん、小谷孝子さん、樋口惠子さんの3名から伺いました。戦争とは、尊いはずの命が奪われてしまうものというだけではなく、被爆した人同士での差別、日本以外の国には核兵器の恐ろしさを知らない人が大勢いるということ、そして、私達が目標にすべき世界のゴールは平和と平等であることを学びました。

 グループワークでは、平和な世界を実現するために、今から私達ができることについて考えました。平和使節団のメンバー同士で行うからこそ出る意見もあり、お互いの考えを広げることができ、平和に対する思いが大きくなったと思います。

 今、当たり前のように生活できているのは、日本が平和だからです。平和というものは、とても幸せなことです。1日の学習のみでしたが、私達、平和使節団は、そのことについて学ぶことができました。私達はこのことを、世代や国境を越えて伝えていく必要があります。唯一の被爆国である日本の国民として、全校生徒や身近な人に伝え、広げていきたいと思っています。

 ここで、皆さんに、この学習の中で私の心に残ったある言葉を紹介します。これは、講義をしにきてくださった中村さんのお言葉です。

「命って、君たちが使える時間なのだから」

 この言葉から、心臓が動いている間に、その時間を使って、自分や周りの人に何をすることができるか考えることが大切だということを教えていただきました。

 最後に、今回学んだことは、私達だけの中で終わらせてしまうのではなく、世代、国境を越えて、発信していかなければなりません。そのためにも、私達は、核兵器の恐ろしさ、平和の大切さを多くの人へ伝え、平和の輪を広げていきたいと思います。

 核兵器がなく、罪のない人の命が奪われない平和な世界が永久に続くように。

第26回 佐倉平和使節団 団長 河野 華那

平和使節団団長 河野さんによる学習報告

平和使節団団長 河野さんによる学習報告

忠霊塔の開放について

 忠霊塔は、戦没者を追悼するため、昭和45年に市役所2号館の正面に建立しました。
 印旛郡下の各町村出身戦没者の遺骨・遺品が安置されています。
 市遺族会が定期的に清掃を行っています。
 毎年、佐倉市平和式典と佐倉市戦没者追悼式の日に開門します。

令和4年度 佐倉市平和式典

 令和4年8月15日(月曜日)、市役所1号館2階ロビーにおいて、「佐倉市平和式典」を執り行いました。
 昨年同様、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を考慮し、市民の皆様には、参加をご遠慮いただきました。 ご協力ありがとうございました。

 ライブ配信した式典の様子は、下記からご覧いただけます。

内容

【内容】
 1 正午を合図に1分間の黙とう
 2 市長による「平和への誓い」
 3 「佐倉平和の鐘」の鳴鐘
 4 佐倉平和使節団による広島訪問の報告

列席者による黙とう

列席者による黙とう

平和への誓いを述べる西田市長

平和への誓いを述べる西田市長

第25回佐倉平和使節団活動報告

 私達24名の佐倉平和使節団は、7月27日から3日間、広島を訪問し、77年前の出来事や原爆の恐ろしさ、命の尊さを学びました。

 27日、私達は4歳の時に被爆された近藤康子さんによる、被爆体験講話を聞きました。
 そこでは、戦時中や被爆時、広島はどうなっていたのかなど、約1時間かけてご自身が体験した戦争の恐怖を教えてくださいました。
 28日、私達は広島平和記念資料館の見学、平和記念公園での献花・折り鶴の奉納などを経て、フィールドワークと発表会を行いました。
 フィールドワークでは、6人ずつ4班に分かれ、原爆ドームや平和記念公園レストハウス、本川小学校資料館などを訪れ、わかったことや感じたことをまとめて各班で共有し合いました。
 一人ひとり見る視点や感じたこと、戦争や平和への考えが違っていることを学習しました。
 29日、私達は広島城と縮景園を訪れました。 どちらの場所も原爆の被害を受けていて、未だその爪痕が残っている部分もありました。

 3日間の学習を通して、平和に対する自分の思いが大きく変わりました。広島に行く前、学校に行って勉強をすることや、家に帰って寝られることが、当たり前のことだと思っていました。
 しかし、広島に実際に行ってみると、今自分たちが何事もなく暮らしていけるということが、とても幸せであるということに気付かされました。
 そしてもう一つ、私達でも戦争のことを後世に伝えることができる、と思いました。

 今世界に目を向けると、ロシアによるウクライナへの侵略があり、核兵器の使用をちらつかせるロシアによって、世界中が核の恐怖にさらされています。
 だからこそ、今回広島で見て、聞いて、体験して感じたことだけでも、後世に伝えることは、有意義であり、私達の使命であると思います。

 ここで、皆さんにある言葉を紹介します。これは、1984年、元アメリカ合衆国大統領ジミー・カーター氏が広島を訪問した時の言葉で、広島平和記念資料館に掲示されているものです。

「この記念館は、すべての人々が平和とより良い理解に向けて努力することを絶えることなく永遠に思い起こさせるものでなければならない。」

 最後に、佐倉平和使節団24名だけでなく、今を生きる私達には、77年前の悲惨な出来事を後世に伝えるという使命があります。
 前述したジミー・カーター氏の言葉や現地で感じた辛い思い、現地の人の言葉を胸に、平和使節団から、佐倉から、平和の輪を広げていきたいと思います。
 核兵器による被害を二度と出さないために、世界中の誰もが戦争のない平和な世の中で暮らしていけるように、そして、この平和な世が永遠に続くように。
 
第25回 佐倉平和使節団 団長 神保颯哉

使節団を代表して報告をする団長の神保さん

令和3年度 佐倉市平和式典

 令和3年8月15日(日曜日)、市役所1号館2階ロビーにおいて、「佐倉市平和式典」を執り行いました。
 昨年同様、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を考慮し、市民の皆様には、参加をご遠慮いただきました。
 ご協力ありがとうございました。

 当日、「さくら動画配信(You Tube佐倉市公式チャンネル)」にてライブ配信した式典の様子は、下記からご覧いただけます。

内容

  1. 正午を合図に1分間の黙とう
  2. 市長による「平和への誓い」
  3. 「佐倉平和の鐘」の鳴鐘
参列者が起立し佐倉平和の鐘の前で黙とうしている写真

参列者による黙とう

市長が、スタンドマイクの前に立ち、式辞用紙を見ながら誓いを述べている写真

平和への誓いを述べる西田市長

佐倉市遺族会代表 渡貫氏が、桜平和の鐘を鳴らしている写真

「佐倉平和の鐘」を鳴らす 佐倉市遺族会会長 渡貫氏

令和2年度 佐倉市平和式典

 令和2年8月15日(土曜日)、市役所1号館2階ロビーにおいて、「佐倉市平和式典」を執り行いました。
 今年度は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を考慮し、市民の皆様には、参加をご遠慮いただきました。
 ご協力ありがとうございました。

当日、「さくら動画配信(You Tube佐倉市公式チャンネル)」にてライブ配信した式典の様子は、下記からご覧いただけます。

内容

  1. 正午を合図に1分間の黙とう
  2. 市長による「平和への誓い」
  3. 「佐倉平和の鐘」の鳴鐘

令和元年度 佐倉市平和式典

 令和元年8月15日(木曜日)、市役所1号館2階ロビーにおいて、「佐倉市平和式典」を開催しました。
 正午を合図に1分間の黙とうが行われ、戦争で亡くなられたかたを追悼し、世界の恒久平和を祈念して、「佐倉平和の鐘」 が鳴らされました。
 式典では、西田市長が「平和への誓い」を述べた他、8月8日から8月10日にかけて長崎市を訪問した、第24回佐倉平和使節団 の報告も行われました。

第24回佐倉平和使節団活動報告

 終戦から74年経ったこの年、私たち24名の、佐倉平和使節団は8月8日から3日間、長崎の地へと足を運びました。そこでは、74年前にあった出来事、核兵器の恐ろしさ、様々な方々の思いや願いを知ることができました。
8日、私たちは、北海道から沖縄まで、全国の小・中学生が集い学び合う、「青少年ピースフォーラム」に参加しました。
 この活動では、被爆者の方の話や「浦上天主堂」、「爆心地公園」などのフィールドワーク、全国各地の同世代の仲間たちとの意見交換などを行いました。
 また、被爆者の方の話は、被爆した瞬間のことや、その時交わした友人との会話など、戦争の悲惨さを感じるものばかりでした。
 9日は、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加しました。その後、長崎ブリックホール国際会議場で他の市区町村の同世代の仲間と意見交換を行いました。この意見交換はピースボランティアの方が司会となり、テーマに沿って意見を出し合いました。
 そこでは「平和」の定義が人それぞれ違っていることを学習しました。特に私は、沖縄と長崎の人の考えに重みがあると思いました。
 2日間の学習を通して、私は今までと考え方が大きく変わりました。私がこれから一番大切にしていきたいことは、私が平和について学んだことで、自分の日常生活を大切にしようと思ったことです。そして、戦争についてしっかり伝えていくことです。長崎に行く前は、戦争について語り継がなければならないと思う反面、体験していない自分が戦争のこと伝えるのは難しいと思っていました。しかし、今は自分が聞いたこと感じたことを伝えるだけでも力になれると思っています。そこで、みなさんに紹介したいことがあります。私が心を大きく動かされた、自らが17歳の時被爆し大けがを負った女性の詩です。この詩は、平和式典で長崎市長が紹介していた詩です。
 一部ですが紹介します。

 幾千の人の手足がふきとび
腸わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた

ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった

だけど…
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない

人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
だけど…
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても…

 最後に佐倉平和使節団24人全員がこの体験を後世に伝え、二度と戦争を行ってはならないというだけでなく、その思いや願いを受け取るだけで終わらせてはいけないということを強く実感しました。そして使節団からこの佐倉全体に広げていきたいです。
 核兵器廃絶と世界平和を願って。

第24回佐倉平和使節団 団長 馬場 恵梨香

白い手袋をして、桜平和の鐘を鳴らす男性の写真

平和への祈りを込めて

横に2列に並んでいる制服を着た男女学生と、スタンドマイクの前に立ち報告書を読み上げている女子学生の写真

長崎訪問報告をする佐倉平和使節団

スタンドマイクの前に立つ女子学生と、並んでいる男女学生を横から写した写真

使節団を代表して報告をする団長の馬場さん

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