日本遺産に認定された佐倉市内の文化財について

更新日:2022年06月01日

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今回認定された佐倉市内の文化財

構成文化財の位置づけ

日本遺産は、個々の文化財を認定するものではなく、点在する文化財を結びつけるストーリーを認定するものです。ここでは、「北総四都市江戸紀行」を構成する文化財のうち、市内にあるものの位置づけについて紹介します。

政治・軍事の面で江戸を支えた佐倉

佐倉城跡

佐倉城跡のお堀の両脇に咲く桜の木の写真

 江戸の東を守る要として、幕府の中枢を担った土井利勝1611年より約7年をかけて築城。土塁、空堀、水堀、馬出しを巡らした城構えは、「日本三城の内と言伝る」と当時の記録(「古今佐倉真佐子」)にも評される堅牢さでした。本ストーリーのガイダンス施設としての国立歴史民俗博物館も城跡内に位置しています。

 城跡は佐倉城址公園として公開されています。下記リンクのページもご参照ください。

佐倉の武家屋敷群

 佐倉城築城にあわせて、城の東に連なる台地上に武家屋敷と町屋を配置し、城下町が整備されました。現在も昔ながらの区割りや家屋が多く残され、宮小路字鏑木小路の通りには三棟の武家屋敷が公開されている。これらの屋敷は、天保年間に制定された佐倉藩の「居住の制」に合致しています。武家屋敷の規模や様式は居住する藩士の身分の象徴であり、藩が住宅の基準を定めたのです。当時の藩士の職階に沿った住環境を具体的に知ることができるよう整備・公開されています。

 佐倉の武家屋敷群の公開については、下記リンクのページをご参照ください。

入口2箇所が開いている旧武居家住宅の全体を写した写真

旧武居家住宅正面

旧但馬家住宅内部に展示されている兜と鎧をアップで写した写真

旧但馬家住宅内部

江戸の趣きを感じる町並み・文化

城下町佐倉の町並み

 江戸へ向かう佐倉道(成田街道)は、城下町をほぼ東西に走り、防衛のためクランク状に屈曲しています。その他の道路・地割もほぼ当時の形状を保ち、旧佐倉順天堂をはじめ、旧平井家住宅、三谷家住宅といった近世から近代の歴史的建造物が現在も残っています。

 城下町の町歩きについては、下記リンクのマップが参考になるかと思います。ぜひご覧ください。

道路沿いに建つ2階建ての和家屋、旧平井家住宅を正面から写した写真

旧平井家住宅正面

城下町佐倉の祭礼

 江戸の祭礼文化を脈々と受け継ぐ城下町の祭礼。佐倉藩総鎮守麻賀多神社の大神輿の渡御、各町の山車・御神酒所の引き廻し、江戸囃子の流れをくむ佐倉囃子の演奏など、様々な要素に江戸の祭礼の息づかいが今に残っています。祭礼に登場する山車は、佐原・成田などとともに、利根川流域に分布する江戸型山車の一つでもあります。

 平成28年の佐倉の秋祭りは、10月14~16日の三日間行われます。

赤を基調とした旧佐倉町の祭礼用具(上町・仲町・横町の江戸型山車)が並んでいる写真

旧佐倉町の祭礼用具(上町・仲町・横町の江戸型山車)

佐倉道(成田街道)道標

店舗駐車場横にブロックで囲われている、佐倉道(成田街道)の道標を正面から写した写真

 土井利勝が藩主になると江戸~佐倉間の街道は整備され、近隣の大名も参勤交代に使うほど重要な街道となりました。また、この街道は、江戸庶民の「成田詣で」で賑わうようになり、成田街道と呼ばれるようになります。

 街道沿いには多くの道標が残っていますが、中でも井野にある道標「成田山道」は、七代目市川團十郎が寄進したもので、江戸庶民の成田山信仰の象徴的なものです。

蘭学の先進地であった佐倉

旧佐倉順天堂

銅像が設置されている旧佐倉順天堂の敷地と旧佐倉順天堂の建物を写した写真

 天保14年(1843年)、蘭医学者として名を馳せていた佐藤泰然は、江戸から佐倉に移住し、医学所「順天堂」を開設しました。以後この地は、多くの優れた人材を輩出し、日本の近代医学発祥の地となりました。佐倉が蘭学の先進地たる象徴の一つでもあります。

 旧佐倉順天堂は、佐倉順天堂記念館として公開しています。下記リンクのページをご参照ください。

鹿山文庫関係資料

 藩校「成徳書院」(現在の県立佐倉高校)に所蔵されていた、日本初の蘭和辞典「ハルマ和解」をはじめとする貴重な古典籍群。特に蘭書(洋書)は、質・量ともに他藩を凌ぐもので、佐倉が蘭学(洋学)の先進地であったことを如実に伝えています。成徳書院は、現在も途絶えることなく、県立佐倉高等学校としてその歴史を刻んでおり、古典籍群は「鹿山文庫」として管理されています。

 「鹿山文庫関係資料」は、県立佐倉高校地域交流施設にてご覧になることができます。見学については、下記リンクのページをご参照ください。

地域の象徴であった大名家・堀田家

旧堀田家住宅・旧堀田正倫庭園

緑の芝生の旧堀田正倫庭園とその奥に建つ旧堀田家住宅を写した写真

 最後の佐倉藩主である堀田正倫の邸宅・庭園。正倫はここを本邸とし、旧領佐倉のために尽力しました。特に藩校「成徳書院」をもととする佐倉中学校(現在の県立佐倉高校)に多くの支援を行い、父正睦と同じく佐倉の教育の発展に貢献しました。この邸宅・庭園は、広く公開され、旧大名家の気風を今に残し、正倫の業績を偲ぶことができる場所となっています。

 旧堀田家住宅の見学については、下記リンクのページをご参照ください。

堀田正俊・正睦・正睦墓

両脇を追遠碑で囲われた堀田家墓所を正面から写した写真

 佐倉藩主を長く務めた堀田家の菩提寺である甚大寺(じんだいじ)にある墓所。墓所内には、正倫、旧藩士によって建てられた正睦の追遠碑もあり、昭和11年には浅草から大老堀田正俊の墓も移されており、大老と老中の墓が並んでいる。堀田家が佐倉において地域結合のシンボルであったことを示している。

写真データの使用について

日本遺産ロゴマークと同じように使用いただけます

  • このページにある佐倉市内の日本遺産の構成文化財の写真データは、ロゴマークと同様に「北総四都市江戸紀行」の広報、理解促進を目的とする場合、無償で使用することができます。
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  • 取材・撮影のご相談や、ここにない写真、さらに高精細な画像が必要な場合は、下記リンクのページの申請書にご記入のうえ文化課にご連絡ください。

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佐倉市教育委員会文化課

電話番号 043-484-6192

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