佐倉市の文化財-市登録有形文化財

更新日:2022年08月31日

ページ番号: 5442

山口家住宅 <やまぐち-け じゅうたく> 袖蔵及び店蔵 (新町)

内部の見学はできません。

 山口家は裏新町通りの北側に位置し、道路に面して東側の店蔵と、西側の袖蔵と二つの蔵が接続して並んでいます。袖蔵の創建は棟札により明治29年(1896年)10月と判明し、店蔵は後の増築と考えられています。袖蔵は意匠に優れており、敷居の傾斜により自動的にしまるくぐり戸があるなど、当時の大工の創意工夫がかいま見られます。

 〔平成12年(2000)年2月16日市登録有形文化財〕

三谷家住宅 <みたに-け じゅうたく> 主屋・袖蔵・座敷屋 (弥勒町)

内部の見学はできません。

 三谷家は旧成田街道に面し、江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家です。袖蔵の創建は棟札により明治17年(1884年)と判明し、主屋もその頃には建っていたと考えられます。また、座敷屋は昭和10年(1935年)位頃に建てられています。いずれの建物も近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されています。

 〔平成13年(2001)年5月16日市登録有形文化財〕

石渡家住宅 <いしわた-け じゅうたく> 主屋及び蔵 (弥勒町)

内部の見学はできません。

 石渡家は旧成田街道に面した明治時代から続く商家です。主屋は「みせ」と「すまい」からなり、「みせ」は大正5年(1916年)、「すまい」は明治40年(1907年)に建てられたことが判明しています。蔵は明治38年(1905年)以前に建てられたと推定されますが、詳しくは不明です。出桁造の「みせ」(外観は一部改装)の東西の壁を漆喰塗にするなど、佐倉の町屋の特徴が残されています。また、蔵は屋根のつうじ棟や軒先に優れた意匠が見られます。

 〔平成13年(2001)年5月16日市登録有形文化財〕

藤嵜家住宅 <ふじさき-け じゅうたく> 主屋・洋館・文庫蔵・味噌蔵・表門・米蔵・馬小屋 (大佐倉)

見学はできません。

 藤嵜家は江戸時代には名主を務めていた旧家です。主屋は大規模な直屋(すごや)で、建築年代は明らかではありませんが、江戸時代から明治の初め頃と推定されています。また、この住宅は上層農家の屋敷構えをよく残していて、中庭を囲むように主屋と蔵や門が建てられ、優れた一群の景観を示しています。伝統的な和風の環境に近代的な洋館が点描となり、趣のある調和を生み出しています。

 〔平成17年(2005)年7月1日市登録有形文化財〕

蕨家住宅 <わらび-け じゅうたく> 長屋門 (先崎)

見学はできません。

 蕨家は江戸時代に代々名主を務めていたと伝えられる旧家です。長屋門は江戸時代末期に建築され、明治期に改造されたと考えられますが、佐倉の農村部の旧観がよく残されています。また、桁行8間半、梁間2間半と長屋門としては比較的規模が大きく、丁寧な工作が施された見ごたえのある建物です。

 〔平成17年(2005)年7月1日市登録有形文化財〕

齋藤家住宅 <さいとう-け じゅうたく> 主屋及び蔵 (太田)

見学はできません。

 齋藤家が所在する太田地区は根郷地域の西端に位置しています。江戸時代には太田村と呼ばれ、根郷地域においても最も早い機会に水田が開けたと考えられています。齋藤家は、太田地区の有力地主の一つで、農業の他、蚕業もおこなっていた豪農でした。

 この住宅は大正末から昭和初期に建てられ、間取りは下総地方における近世以来の形式を引き継いでいますが、新しい要素(狭い土間、側回りが開放的で間仕切にガラス入り板戸を建てる)も加えられていて、近代から現代に移行する時期における農家の変化を示しています。

 〔平成21年(2009)年2月23日市登録有形文化財〕

関連コンテンツ

この記事に関するお問い合わせ先

[教育委員会 教育部]文化課(文化財班)
〒285-8501千葉県佐倉市海隣寺町97番地
電話番号:043-484-6192
ファクス:043-486-9401

メールフォームによるお問い合わせ