選定佐倉市民文化資産

更新日:2024年02月06日

ページ番号: 3425

生活文化資産

表町の御神酒所〔通常非公開〕 【表町】

上が白い衣装を着た女性たちがハチマキをして「表町」と書かれた提灯が飾られた山車の前を歩いている写真

 表町の御神酒所は、昭和11年に製作されたと伝えられ、戦中戦後を経て現在に至るまで町内の祭礼の中心として、多くの住民が参加する秋祭りで曳き回しが行われています。この御神酒所は祭礼の際に地域住民の親睦・交流に大きく寄与するとともに、鉄道敷設により形成されたコミュニティシンボルとして貴重な文化資産になっています。

 〔平成17年(2005年)9月20日選定〕

城麻賀多神社の神輿の巡幸及び奉納相撲と相撲地跡 【六崎】

全体が黄金色で紫の紐が印象的な神輿の写真

 城麻賀多神社の秋の祭礼では寛文13年(1673年)製作の神輿の巡幸と奉納相撲が行われます。この巡幸は荘重且つ勇壮に行われ、伝統的な巡幸の様式が残されています。古くから行われている奉納相撲は、子ども、青年会によって六崎妙見神社で毎年実施されており、明治の中頃までは東京の大相撲を招いて実施されていました。
 また、相撲地跡は神輿巡幸の跡と、すりばち状の相撲場跡の一部が残り記念碑が建立されています。

 〔平成17年(2005年)9月20日選定〕

時崎城跡 【六崎】

木材で造られた階段を上がると緑の木々の森がある時崎城跡の写真

 戦国時代前期の城館跡と推定される時崎城跡は、城跡の遺構として郭、腰曲輪、土塁など歴史的な土地利用のあり方がよく残っています。平成11年(1999年)には市民緑地に指定され、市民への一般公開も行われており、旧堀田正倫別邸庭園(さくら庭園)からの眺望にも寄与しています。

 〔平成17年(2005年)9月20日選定〕

下総まわたし宿百観音 【馬渡】

道の両脇に石碑が並び、その奥に階段が見える下総まわたし宿百観音の写真

 下総まわたし宿百観音は、馬渡宿を東西に貫く旧街道の南に位置し、百観音入口には元治元年(1864年)の銘のある百躰観音道の石碑と庚申塔があります。坂東三十三観音、秩父三十四観音が向かいあって並んでおり、西国三十三観音が並列しています。観音像の銘によって寄進者の周辺地域の広がりを知ることができ、江戸時代から庶民の信仰のあり方を示すとともに、現在も保存会によって大切に保全活用が行われています。

 〔平成17年(2005年)9月20日選定〕

千蔵寺の千躰仏〔通常非公開〕 【馬渡】

 虚空蔵菩薩を本尊とする千蔵寺は檀家の人々によって念仏講が結ばれていました。〈千躰仏〉と呼ばれる小さな地蔵尊は、子授け地蔵として子授けの願いを持った人が念仏講の先立ちの人に願い出ると、仏像を一躰授かり、ご利益を得られると返礼に仏像を作って授かった仏像とともに納めるという行事が残されています。現在では返礼に人形などを納めるように変化していますが、地域住民に長く保護され継承されてきました。

 〔平成17年(2005年)9月20日選定〕

下総まわたし宿善養院境内と阿弥陀堂周辺 【馬渡】

左側に慰霊碑がある善養院本堂の入り口をアップで写した写真

 善養院本堂は、もと八坂神社の北東にあった薬師堂を現在地に移築したもので、江戸時代後期の建造物です。境内は、台地の中腹に位置し、大師廻りの札所である太師堂や地域内居住戦没者の慰霊碑、江戸期の墓石群があります。また、阿弥陀堂には、文化元年(1804年)寄進銘の木造阿弥陀像が安置されており、周囲の墓地には戦没者の墓碑などがあります。

 〔平成21年(2009年)6月5日選定〕

先崎鷲神社の神輿及び神輿渡御 【先崎】

金棒をつとめる女装束の独身男性2人の後ろを神輿を担いだ男性達が歩いている写真

 先崎鷲神社は、江戸時代に将軍家光から5石の朱印地を賜ったといわれています。境内には、市指定文化財で建築彫刻の本殿や石の鳥居、ケヤキの大樹があり神社景観としても優れています。鷲神社の神輿は、文化元年(1804年)の製作で屋根には葵の紋章が付いており、装飾に菊花、巴、卍の紋章があり華やかな中に荘厳さを保っています。神輿渡御は3年に1度、11月の酉前後の日曜日に行われ、かつて印旛沼であった干拓田に神輿を入れるオハマオリと呼ばれる行事が残っています。渡御の中では花笠を持った幼児、金棒をつとめる女装束の独身男性2人が華を添え、往時の印旛沼と祭礼の関係を髣髴させます。

 〔平成21年(2009年)6月5日選定〕

時崎の弁天さまの池 【六崎】

朱色の屋根の小さな祠が森の中に建っている写真

 時崎の弁天さまの池は豊富な水が池に満ち、かんがい用水源として時崎及び隣接する落井両谷津の田地を潤し、コイ・ウナギ・ナマズなどの様々な生物が生息していました。池の中の島にある弁天社は、古くから「時崎の弁天さま」として近隣からの信仰が厚く、隣接する普門院(子育て観音)とともに子育ての信仰を集めていました。市街化が進み近隣の環境は大きく変化しましたが弁天社を中心とする池は現在も信仰を集め、地元の人々から大切に守られています。

 〔平成23年(2011年)10月17日選定〕

上志津の神社と社叢(八幡神社・天御中主神社) 【上志津】

右:見事な彫刻が施されている社殿、中:大きな樹木を下から写した写真、左:森の中に建つ2つの神社を写した写真

 八幡神社・天御中主神社は都市化の進む上志津にあります。しかし昔からの信仰、貴重な緑地はずっと守られてきました。両社はともに寛永3年(1626年)の創建とされます。見事な彫刻が施されている社殿は覆屋を掛けられ、地元の方により手厚く祀られていることが伺えます。また、近年は氏子組織により環境整備が進められ、伝統的地区行事が継続的に行われています。また、地域の人々が散策に訪れるなど憩いの場にもなっています。古くからの人々の営みを伝える貴重な生活文化遺産です。

 〔平成24年(2012年)12月13日選定〕

田町の御神酒所〔通常非公開〕 【田町】

「田町」と書かれた提灯が飾られた神輿に数人の人々が乗り、夜の道路を練り歩いている写真

 田町の御神酒所は、昭和29年(1954年)に製作されました。かつては佐倉城内にあった愛宕神社の祭礼として続く田町の祭礼で、毎年曳き回しが行われています。今日においては佐倉の秋祭りに参加しており、地域住民の親睦と結束を図り、次世代へ歴史と文化を継承する象徴として愛されています。

〔平成28年(2016年)3月7日選定〕

瑞湖山 円応寺 臼井八景発祥の地

臼井八景の山水画を写した写真

 臼井八景とは、円応寺にて元禄11年(1698年)に隠士臼井信斎と円応寺の住職宗的が中国の山水画の伝統的な画題である瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にならって印旛沼周辺の風景を選定した景勝地のことです。
瑞湖山円応寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で延元3年(1338年)に創建されたとしており、臼井八景を円応寺で選定したため、臼井八景発祥の地とされています。
選者、選年が明記されているものは珍しく学術的価値の高い文化遺産です。 (写真は、『利根川図志』より)

〔平成29(2017)年6月1日選定〕

並木町の御神酒所〔通常非公開〕 【並木町】

「並木町」と書かれた提灯が飾られた神輿の屋根に1人の男性が立ち、法被姿の参加者が秋祭りの引き廻しをしている写真

 並木町の御神酒所は、昭和8年(1933年)に製作されました。麻賀多神社の氏子として地域の伝統や文化の継承、地域交流の象徴として町や人々に愛され、なくてはならない存在として大切にされてきましたが、平成28年(2016年)の祭礼終了後の火災により焼失してしまいました。町の人の努力や多くの寄付により平成30年(2018年)に修復が終わり、秋祭りの引き廻しが復活する予定です。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

宮小路町第一の御神酒所〔通常非公開〕 【宮小路町】

ちばぎんの建物の前の道路を「宮小路町」の神輿がボルドー色の法被を着た人たちにひかれている写真

 宮小路町第一は麻賀多神社の大神輿との関係が深く、大神輿の宮出し・宮入りを受け持ってきました。現存している宮小路町第一の御神酒所は、昭和33年(1958年)に製作されたものですが、それ以前にも御神酒所があったことを当時の写真や町内の住民の話で分かっていることから、地域のシンボルとして親しまれ、受け継がれてきたことがわかります。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

袋町の御神酒所〔通常非公開〕 【袋町】

「袋町」の神輿が佐倉の秋祭りで引き廻しされている写真

 袋町は昭和6年(1931年)頃、袋町囃子連が江戸囃子の教えを受けており、佐倉囃子発祥の地でもあります。また、袋町の御神酒所は昭和11年(1936年)に表町から譲り受けて以来、佐倉の秋祭りで引き廻しを行ってきました。袋町では祭礼を通じて、地域文化の継承が行われ、御神酒所は町の文化・歴史の象徴として地域の人々から大切に扱われています。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

野狐台町の御神酒所〔通常非公開〕 【野狐台町】

「野狐台町」の神輿の上で和傘を持った2名の男性が立ち、お揃いの法被姿の人達が引き廻しをしている写真

 野狐台町は、弥勒町の南端に位置します。野狐台町の御神酒所は、昭和26年(1951年)に製作されました。以来、毎年佐倉の秋祭りに参加して、引き廻しを行ってきました。地域住民が親睦を深めながら一丸となって行事、文化を受け継いていくためには欠かせない文化遺産です。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

鏑木町の御神酒所〔通常非公開〕 【鏑木町】

「鏑木町」の神輿の周りに子供達が集まっているお祭りの写真

 鏑木町は江戸時代から麻賀多神社の大神輿を担いていたため、御神酒所は所有していませんでした。しかし第二次世界大戦後、子どもたちの要望により昭和26年(1951年)に田町より購入し、引き廻しを行ってきました。現在の御神酒所は昭和62年(1987年)に製作されたもので、昔変わらず町内の親睦を深めるシンボルとなっています。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

栄町の御神酒所〔通常非公開〕 【栄町】

「栄町」の神輿の上で両手に堤灯を持った男性1人が仁王立ちをしていて、その下に法被姿の参加者が集まっている写真

 栄町は昭和19年(1944年)に麻賀多神社氏子入りをしました。昭和33年(1958年)の祭礼より御神酒所の引き廻しを行ってきました。現在の御神酒所は昭和元年(1989年)に製作されたものです。地域住民が団結して祭礼に参加することで伝統の継承と地域の親睦を深めています。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

本町の御神酒所〔通常非公開〕 【本町】

灯りがともされた「本町」の提灯がついた神輿がお祭りで引き廻されている写真

 本町の鎮守「神明大神社」の祭礼は江戸時代の佐倉を記録した書籍「古今佐倉真佐子」に記されています。本町の御神酒所は、この祭礼で江戸後期から引き廻されていたと伝えられています。平成初期までは10月14日、15日の2日間行われていましたが、今日においては佐倉の秋祭りに参加しており、伝統の継承や住民同士の絆の醸成に努めています。

〔平成29(2017)年9月27日選定〕

芸術文化資産

西志津囃子【西志津】

4名の人達が座りその後ろに4名の人が立ちながら太鼓の演奏をしている写真

 西志津囃子は、佐倉市内の中で比較的歴史の浅い西志津さくら自治会の地域で生まれ、西志津地区のお祭りなどの地域行事で、西志津お囃子友の会により演奏され、街の活性化に大きな貢献をしてきました。オリジナルの曲目を作成するなど、地域の個性を表現する意欲があり、その活動等が西志津地区の豊かな市民生活の実現に資する芸術文化資産です。

 〔平成26年(2015)12月5日選定〕

自然遺産

小竹城跡と小竹五郎の墓及びその周辺の里山風景(小竹)

中央の大きな樹木の根元が木で丸く囲まれている里山風景の写真

 小竹城は、明徳年間(1390年頃)に小竹五郎高胤によって築城されたと伝えられています。城跡は、土塁が一周約200メートルからなっています。城跡を重要と思い続けた代々の住民たちによって、周辺一帯を含め守り続けた土地で、現在でも竹林や湧水を含む豊かな里山風景が残っている貴重な自然資産です。

 〔平成23年(2011)3月1日選定〕

(注意)選定地は、民有地ですので許可なく立ち入るのはご遠慮ください。

この記事に関するお問い合わせ先

[教育委員会 教育部]文化課(文化財班)
〒285-8501千葉県佐倉市海隣寺町97番地
電話番号:043-484-6192
ファクス:043-486-9401

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