ページの先頭です
メニューの終端です。

佐倉市ゆかりの人物

[2012年5月9日]

ID:5328

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

佐藤泰然(さとうたいぜん 1804~1872)

 幕末の藩医。天保14年、江戸から佐倉に移り、病院兼蘭医学塾の佐倉順天堂を開きました。乳ガン手術など、蘭学による先進医療を行うと同時に、多くの優秀な人材を育て、近代医学の発展に大きな功績を残しています。

佐藤泰然の像の写真

堀田正睦(ほったまさよし 1810~1864)

 幕末の佐倉藩主。幕府の老中首座としてアメリカ総領事ハリスと交渉、日米通商条約の幕府側責任者として調印に尽力しました。蘭医学の採用や西洋兵法の導入、農政の刷新など、数々の藩政改革を実施した開明的藩主としても知られています。

掘田正睦の写真

西村茂樹(にしむらしげき 1828~1902)

 佐倉藩出身の明治の思想家、教育家。明治に入ってからは福沢諭吉らと明六社に参加しています。また、日本独自の道徳観を守るために修身学社(日本弘道会の前身)を設立しました。宮中顧問、華族女学校校長、貴族院議員を歴任。

浅井 忠(あさいちゅう 1856~1907)

 明治の洋画家。江戸佐倉藩邸に生まれ、少年時代を佐倉で過ごしました。明治美術会を設立するなど、日本洋画壇の発展に尽くしました。詩趣深い画風で、日本の田園風景を描いた「春畝」「収穫」は重要文化財に指定されています。弟子に梅原龍三郎、安井曽太郎などがいます。

浅井忠の像の写真

津田梅子(つだうめこ 1864~1929)

 明治の教育家で、女子専門教育の先駆者。佐倉藩出身の農学者津田仙の二女として江戸で生まれ、8歳で日本初の女子留学生として渡米しています。華族女学校に奉職し、再度渡米した後、現在の津田塾大学の前身、女子英学塾を開きました。

香取秀真(かとりほつま 1874~1954)

 明治から昭和の金工家・歌人。芸術院会員。麻賀多神社の神官郡司家の養子となって幼少期を佐倉で過ごしました。東京美術学校卒業後、母校の教授を務めながら作品を発表、鋳金界に重きをなしました。アララギ派の歌人としても有名です。文化勲章受章、芸術院会員。

ご意見をお聞かせください

このページは役に立ちましたか?

このページは見つけやすかったですか?

お問い合わせ

佐倉市役所[企画政策部]広報課

電話: 043-484-6101

ファクス: 043-486-8720

電話番号のかけ間違いにご注意ください!

お問い合わせフォーム


佐倉市ゆかりの人物への別ルート

ページの先頭へ

Copyrightc Sakura City. All rights reserved.