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城下町のなりたち

[2018年5月1日]

ID:5680

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城下町の成り立ち

 老中、土井利勝が徳川家康の命により、慶長十五(1610)年佐倉に配され、翌慶長十六(1611)年から7年間をかけて佐倉城を築城し、その周辺に城下町が形成されました。以来、佐倉城は江戸防衛の東の要衝として徳川譜代有力大名たちが封ぜられ、幕府の老中職についた大名が徳川各藩中最多を数えたことから、俗に『老中の城』とも呼ばれ、それとともに城下町も栄えました。

 258年間に及ぶ佐倉藩の歴史の中でその6割弱の141年間堀田家が治め、その石高は概ね11万石でした。千葉県における最大の藩でした。幕末に筆頭老中としてハリスの条約交渉に全力を注ぎ、日本を開国へと導いた堀田正睦(ほったまさよし)等を輩出しました。正睦は深刻な財政難に悩む藩を改革により立て直すことに成功し、また洋学を積極的に取り入れ、蘭方医、佐藤泰然を佐倉へ招きます。佐藤は、医学塾兼診療所、佐倉順天堂(順天堂大学の前身)を開きます。

 明治初期には、旧佐倉城内に陸軍の歩兵連隊(歩兵第二連隊、歩兵第五十七連隊等)が設置され、軍都として栄えます。歩兵第五十七連隊は、アジア・太平洋戦争を戦い、やがて昭和十九(1944)年、フィリピンレイテ島において玉砕するという悲劇的な最後をとげました。

武家屋敷内

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