佐倉の武家屋敷と新佐と雫・市之丞の住まい

さて、「天倫の桜」の主人公の武居新佐、但馬雫・市之丞の住まいは、ゲーム中でもよく登場するので、ゲームをプレイしたことがある方にはおなじみの場所だと思います。ゲーム中では、美しいドット絵のグラフィックで表現されていますが、この二つの建物は実在する武家屋敷をモデルにしていることはご存知だったでしょうか?

新佐の住まいは「旧武居家住宅」、雫・市之丞の住まいは「旧但馬家住宅」という実際に江戸時代の佐倉藩士が暮らした武家屋敷がモデルになっています。「旧武居家住宅」は国の登録有形文化財に、「旧但馬家住宅」は市の指定有形文化財になっている貴重な文化財でもあります。また、二人の住まいが並ぶ通りは、「武家屋敷通り」と呼ばれ、佐倉藩士たちが暮らす武家屋敷が密集していたエリアでした。武家屋敷が密集していたエリアは、凛太郎、母の千津の方が住む佐倉城を取り囲むように配置され守りを固めていました。佐倉の武家屋敷の大半は、材料・規模ともに必要最小限で作られています。これは、屋敷の造作が藩によっておこなわれていることが影響していると思われます。というのは、これらの武家屋敷は個人の所有するものではなく藩が所有し、職や身分に応じて藩士に貸し与えられたものだったのです。そのため、藩士の身分の変化や藩の転封によって住む人が変わる場合が多く見られました。佐倉の武家屋敷は、道に面する部分を正面とし、門をつくり、通り沿いに土塁と生垣を築き、その奥に屋敷が建てられています。屋敷の裏側には菜園などをつくり、屋敷の境には木が植えられ、背後の斜面は竹やぶなどになっていました。ドット絵では、建物だけでなく土塁や生垣も描写されていることがわかると思います。

旧武居家住宅

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「旧武居家住宅」は、「但馬家住宅」に比べると小ぶりな武家屋敷です。江戸時代後半には、90石の禄高の藩士が暮らしていたことがわかっています。建築年代は資料がなく明らかではありませんが、構造などから「但馬家住宅」と同じ頃と考えられています。簡素なつくりですが、当時の小規模な武家屋敷の典型例としてよく知られた建物です。

旧但馬家住宅

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「旧但馬家住宅」は、文献資料や絵図によって江戸時代後半、今から約200年前に建てられたものと推定されています。150石の禄高の藩士が暮らしたもので、現在の場所そのままに整備公開されています。そのため、屋敷地の形状や植栽に当時の武家屋敷の特徴をよく残しています。現在公開されている3つの武家屋敷の中では一番広い建物で、年に数回の甲冑試着会など体験イベントの会場としても使われています。

旧河原家住宅

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二つの武家屋敷とともに整備・公開されているのが、「旧河原家住宅」(千葉県指定有形文化財)です。「天倫の桜」でしばしば登場する「河原さま」という藩士の住まいのモデルになっています。建築様式や構造・部材などからみて佐倉に残されている武家屋敷の中では、最も古いものと考えられています。
佐倉の武家屋敷の大きな特徴の一つが、「茅葺屋根(かやぶきやね)」です。「茅」とは、屋根を葺(ふ)く草の総称で、チガヤやススキ、ヨシなどの種類があります。茅葺屋根では、この他に、竹や縄、杉皮などの材料が用いられています。竹で組まれた基礎に、種類の異なる茅を積み重ね縄で結び、間に杉皮を差し入れて雨漏りを防止しています。現在の「旧武居家住宅」は銅板葺きですが、「旧但馬家住宅」「旧河原家住宅」は、当時の姿をとどめる茅葺屋根になっています。

「天倫の桜」のゲーム中では、こうした茅葺屋根の屋敷と武家屋敷通りが見事に描かれています。ゲームを楽しむとともに、実際に武家屋敷を訪れて見比べてみてはいかがでしょうか。また、GPS通信機能を使えば強力なアイテムと交換できる「武士の信念」も集まりますので、ぜひ訪れてみてください。より「天倫の桜」の世界を堪能することができると思います。

※佐倉武家屋敷の公開日等ついては 武家屋敷ホームページ をご確認ください。