文化祭の歴史
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佐倉市文化祭の歴史
文化祭は、市制施行当初から実施されていましたが、残念ながら資料が少なく、当初の様子を正確に把握することができませんでしたが、当時の市政だより、広報紙などの資料を参照し、可能な限り文化祭の変遷を掲載いたします。
「佐倉市民文化祭」は、当初は「佐倉市文化祭」として実施され、市制施行当初(昭和29年)から昭和53年まで、25回開催されています。
記録によると、少なくとも昭和48年には、各種文化団体・地区公民館・市関係部局・市教育委員会の各代表による実行委員会が開催されていました。
佐倉市文化祭で使用した会場は、以下のとおりです。
- 市の施設:市役所、志津出張所、公民館(中央公民館や公民館分室)
- 学校:佐倉第一小学校、根郷小学校、佐倉中学校、佐倉二高、佐倉東高校
- その他:厚生園、麻賀多神社、甚大寺、志津農協
佐倉市民文化祭の歴史
「佐倉市民文化祭」は、昭和54年から現在まで続いており、現在は佐倉市民文化祭実行委員会により運営・実施されています。
佐倉市民文化祭で使用した会場は、以下のとおりです。なお、現在は全て市の施設で実施しています。
- 市の施設:ホール、美術館、公民館(中央・臼井・志津)、志津コミュニティセンター、西志津ふれあいセンター、ミレニアムセンター佐倉、旧堀田邸、三逕亭、市役所別館3階、志津出張所、市民体育館、新町資料館、和田ふるさと館
- 学校:佐倉中学校、内郷小学校、
- その他:厚生園、厚生園庭園記念館、御伊勢公園、志津マイン、レイクピア
更新日:2022年08月31日