【紺糸威桶側胴具足 附具足櫃・目録】【麻賀多神社佐治家奉納武具類】〔佐倉市指定文化財〕

更新日:2024年02月28日

ページ番号: 18771

「紺糸威桶側胴具足 附具足櫃・目録」「麻賀多神社佐治家奉納武具類」について

「紺糸威桶側胴具足 附具足櫃・目録」「麻賀多神社佐治家奉納武具類」が佐倉市指定有形文化財に指定されました。(令和6年2月22日)

ともに堀田家重臣の佐治家に伝来したもので、佐倉藩の藩士がどのような甲冑・武具を用いていたのかを知るうえで貴重な作例です。

紺糸威桶側胴具足 附具足櫃・目録

紺糸威桶側胴具足

紺糸威桶側胴具足

紺糸威桶側胴具足は、堀田家重臣の佐治(さじ)家に伝来した当世(とうせい)具足(ぐそく)である。兜は、(てつ)錆地(さびじ)六十二間(ろくじゅうにけん)(てつ)黒漆塗板(くろうるしぬりいた)(ざね)六段(ろくだん)()がりの𩊱(しころ)紺糸素懸(こんいとすがけ)(おどし)とし、六段目の板は革包となっている。兜(まえ)(だて)は三本菖蒲を模した意匠で、兜鉢裏には「常州(じょうしゅう)早乙女家(さおとめいえ)(さだ)」の銘がある。胴は鋲留(びょうどめ)(てつ)黒漆塗(くろうるしぬり)桶側(おけがわ)二枚(にまい)(どう)で、草摺(くさずり)黒漆塗(くろうるしぬり)革板(かわいた)(ざね)(こん)糸素(いとす)(がけ)(おどし)を七間六段下がりとする。袖には胴と同じ鋲留鉄黒漆塗の細工がなされている。(はい)(だて)は鉄黒漆塗板での板佩(いたはい)(だて)で、当世具足として一式揃った状態で現存している。兜の吹き返し、胴、袖、籠手、脛当、佩楯の各所と具足櫃の革覆いに佐治家の定紋である石持地抜き花菱が配されている。また、替紋である丸に並び矢を籠手、(すね)(あて)に一つ矢を佩楯に配している。これらは二つの具足櫃に納められ、一つには胴、面頬、肩当、もう一つには兜と袖、籠手、佩楯、脛当、目録を納める。それぞれ具足櫃の蓋裏、内底には、「佐倉家中 佐治茂右衛門(もえもん)」の貼紙がある。目録には、明治39年(1906)9月に佐治純一によって麻賀多神社に他の武具類とともに奉納されたことが記されている。

兜鉢裏に銘がある早乙女家定は、江戸時代末期に活動した甲冑師と知られ、鉢の造りから見た制作時期と活動期が一致する。各所の漆塗、金物は高い水準を示し、兜鉢と同時期に誂えられたと考えられる。上級藩士の甲冑としてふさわしい造りであると同時に、全体として保存状態も良好で、単独として見ても美術工芸的な価値が高い。また三本菖蒲の前立は、天保8年(1837)に佐倉藩が編纂した『御貸(おかし)()図式(ずしき) 一』(佐倉市蔵)にほぼ同寸のものが記載されており、家中で共通した意匠が用いられていたことがよくわかる。

佐治家は、古くから堀田家に仕えた重臣の家柄で歴代当主は茂右衛門を名乗った。天保9年(1838)閏4月に父の死去により当主となった延年(のぶとし)は、同年10月に所持する武具に修復を加え、武具の目録を下賜されたことが藩士の履歴を記した『保受録』に記載されている。よって、この際に現在の姿に仕立てられた可能性も指摘でき、制作時期とあわせて考えると具足櫃の「佐倉家中 佐治茂右衛門」は、彼または彼の父を指すものと考えられる。

本具足は、佐倉藩が房総では最大の藩であったにもかかわらず江戸期の甲冑・武具の残存例が少ない中で、伝来の過程が明らかで重臣の家柄が所持していたことが確定できる文化財であり、歴史的にも高い価値を有する。

麻賀多神社佐治家奉納武具類

麻賀多神社佐治家奉納武具類陣羽織

陣羽織

麻賀多神社佐治家奉納武具類陣笠

陣笠

()()()(じん)(じゃ)()()()(ほう)(のう)()()(るい)は、堀田家重臣の佐治家に伝来した武具類である。陣羽織、采配、軍扇、陣笠、弓、馬印、後立、(うつぼ)、刀筒が残る。陣羽織は、(あか)羅紗(らしゃ)仕立で背中に佐治家の定紋である石持地抜き花菱が配されている。采配は、柄の上下に唐草紋の金具が被され、短冊状に切り裂いた紙の房が先端につけられている。軍扇は、片面には金地に赤の日輪、もう片面には赤地に金の日輪が描かれる。陣笠は、外側は黒塗りで正面に石持地抜き花菱が描かれ、頭頂部には馬の(くつわ)を桜の花の形に図案化した佐倉藩の合印(あいじるし)がそれぞれ金で描かれている。弓は黒塗の重藤(しげとう)の弓である。馬印は、全体が白地で上部表裏に赤で石持地抜き花菱が置かれている。後立は、赤地に上部に太く一本、その下に少し細く一本、白の横線を入れた幟である。靭、刀筒は、それぞれ黒塗で、石持地抜き花菱が金で描かれている。これらの武具類は、明治39年(1906)9月に佐治純一によって麻賀多神社に奉納されたことが(こん)(いと)(おどし)桶側(おけがわ)(どう)具足(ぐそく)の具足櫃に納められている目録に記されている。

佐倉藩士が用いた武具類については、旧藩士の家に伝わるものや『御貸(おかし)()図式(ずしき) 一』(佐倉市蔵)や『佐倉藩(さくらはん)御家中(ごかちゅう)馬標(うまじるし)()(のぼり)図式(ずしき)』(成田山仏教図書館蔵)、『佐倉藩(さくらはん)将士(しょうし)軍装図(ぐんそうず)』(西尾市岩瀬文庫蔵)、『陣服(じんふく)図式(ずしき)』(和洋女子大学蔵)などの江戸時代末期の史料よってその様相をうかがい知ることができる。麻賀多神社佐治家奉納武具類のうち、陣羽織、陣笠、馬印、後立についてはこれらの史料と一致・共通する特徴がある。それぞれがまとめて同じ機会に制作されたわけではないが、藩士の履歴を記した『保受録』には、天保9年(1838)に当主となった延年(のぶとし)が所持する武具に修理を加え、武具の目録を下賜されたという記録があり、この時に現在の姿となった可能性が指摘できる。

佐倉藩は、房総では最大の藩であったにもかかわらず江戸期の甲冑・武具の残存例が少ない。そうした中で、佐倉藩の上級藩士が揃えるべき武具類が良好な状態でまとまって現存している例は貴重であることから、指定文化財にふさわしい価値を有する。

ご意見をお聞かせください
このページは役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?