【神明大神社神輿 附旧部材】〔佐倉市指定文化財〕

更新日:2024年06月28日

ページ番号: 19288

「神明大神社神輿 旧部材」について

「神明大神社神輿 附旧部材」が佐倉市指定有形文化財に指定されました。(令和6年6月17日)

本町の鎮守として古くから信仰を集めている神明大神社に伝わる神輿です。寛文10年(1673)の墨書銘を持ち、市内で現存する神社神輿で制作年代がはっきりするものでは最も古いものです。

神明大神社神輿 附旧部材

神明大神社神輿

神明大神社神輿

神明大神社神輿は、大蛇町石橋台に鎮座し、本町の鎮守として古くから信仰を集めている神明大神社に伝わる神輿である。本神輿の屋根は、黒漆塗の縁がまっすぐな(のべ)()()で、勾配は浅く頂点の露盤(ろばん)鳳凰(ほうおう)をつける。四方には野筋(のすじ)が伸びその先に蕨手(わらびて)が付き上に小鳥を乗せ、頂点から朱色の飾り紐を四方に垂らしている。屋根紋は薄板造りの巴紋を各3つ、屋根の吹き返しに唐草模様の金具、垂木(たるき)の先には巴紋の金具をつける。堂は全体を黒漆塗とし、戸には巴紋の金具がつく。(ます)組みには金箔を押す。四方に瓔珞(ようらく)を垂らし、(きざはし)はなく、朱塗の()(がき)、鳥居が堂を囲む。(だい)()は、全体を黒漆塗とする角台輪で、台輪幅は三尺三寸、担ぎ棒を通す棒穴がある。台輪紋、隅金具は唐草模様。担ぎ棒は、本来、棒先金物のない黒漆塗の二天棒であったが、現在は補助的に横にも棒をつけ四天棒で担ぐようになっている。

屋根裏に「寛文十年戌ノ八月吉日」「戌ノ八月吉日圓良坊年廿六才」とあることが、平成25年(2013)の修復により把握された。市内には同じく市指定文化財の「麻賀多神社神輿」(享保6年(1721)制作)、「六崎区神輿」(寛文13年(1673)制作)があり、寛文10年(1670)の墨書銘を持つ本神輿は、市内で現存する神社神輿で制作年代がはっきりするものでは最も古いものである。また、江戸時代中期の佐倉藩士・渡辺善右衛門が記した『古今(ここん)佐倉(さくら)()佐子(さご)』にも本神輿があったこと、神輿の渡御について言及がある。

現在も、10月第2金土日の三日間、神明大神社・麻賀多神社・愛宕神社・八幡神社の四社合同の「佐倉の秋祭り」で神輿の渡御が行われている。神輿は、祭り初日に十数人の白丁をまとった若衆によって「神明まつりさらば久し」の掛け声で町内を渡御されている。わかっている範囲では、平成14年(2002)から15年、平成25年、令和2年(2020)に修理がなされ、内部構造の補強や屋根・化粧部材・錺金物の修復、漆の塗り直しなどが行われている。本体以外に現存する部材として、旧囲垣・鳥居1式、旧屋根垂木1式、旧屋根鳳凰部材3点、旧瓔珞部材1式が残っている。渡御の形態の変化や修理にともない、神輿の形態にも変化が見られるが、保存・継承のための措置がとられた良好な状態となっている。

本神輿は、江戸初期~中期の神社神輿が現存する佐倉において最も古い制作年代を伝える墨書銘を持ち、すでに指定されている2基の神輿と共通する形状・意匠が多くみられる。県内の神社神輿でも古いものであり、同じ市内に近い時代の作例がまとまって現存する例も希少である。また、現在も氏子による保存・継承の取組みも積極的に行われている。すでに指定されている2基の神輿と合わせ、城下町佐倉の祭礼文化の様相を把握するうえでも重要な作例といえ、指定文化財にふさわしい。

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