佐倉市の文化財-名勝
旧堀田正倫庭園 <きゅう-ほったまさともていえん> (鏑木町)
この庭園は、最後の佐倉藩主であった堀田正倫(ほったまさとも)が、明治23年に旧領である佐倉に設けた旧堀田邸の庭園で、現在、《さくら庭園》の愛称でも親しまれています。鹿島台地縁辺部に位置し、広い芝生地を中心とし、対岸の台地を借景とした意匠・構成で、明治期の庭園の特質をよく表している点で重要です。
庭園の設計は東京巣鴨の植木職、伊藤彦右衛門(いとうひこえもん)によるもので、庭園の当初の姿や利用の変遷を把握することができる史料が残されています。これらの史料から庭園の構想および築造の過程・実態を知ることもでき、学術上の価値を高めています。さらに、庭園で撮影された古写真も多く残り、当時より堀田家の人々をはじめ、佐倉の様々な人々にも深く親しまれていたことがわかります。
また、建築の周りを垣で囲い和風の庭園としての地割を行い、その外側に広い芝生地を設け、対岸の台地などを借景とする地形を活かした独特な景観を呈しています。現在では、斜面林の樹木の生長により借景が臨めないなど、堀田正倫が手掛けた庭園の一部は失われてしまいましたが、残る庭園部分は造園当初の意匠・構成が良好な状態で維持されています。
〔平成27年(2015年)3月10日国指定名勝〕
勝間田の池 <かつまた の いけ> (下勝田)

下勝田村の草創期から灌漑用水として利用されたと考えられている勝間田の池は、古くより名勝地として知られており、嘉永3年(1850年)に編纂された『下総名所図絵』にも記されています。
池の中程には厳島神社が祀られており、その傍らには、若者中による歌碑や天保8年(1837年)3月に建てられた歌碑も建立されています。
近年、周辺地区の開発が進んでいますが、地元の人々により手厚く保護されています。
〔昭和51年(1976年)5月20日市指定名勝〕
加賀清水 <かがしみず> (井野)
加賀清水の名は、延宝6年(1678年)から貞享3年(1686年)まで佐倉藩主にあった大久保加賀守忠朝<おおくぼかがのかみただとも>が、江戸参府の際に、いつもこの清水を賞味していたことに由来するといわれます。 この湧水地は加賀殿清水、井野清水、加賀清水と呼称を変えながら現在まで残されてきました。
天保年間(1830年から44年)ころには、近くの休み茶屋林屋がこの清水を使用した茶湯を飲ませ、歌舞伎の名優7代目市川団十郎(1791年から1859年)も立寄ったといわれます。
更新日:2022年08月31日