【佐倉市市制施行60周年記念】佐倉の歴史 60年の風景
(この記事は、「こうほう佐倉」平成16年3月1日号(944号)から転載し、一部修正したものです)
佐倉地区
古き良き時代の香りを今も残す町並み…佐倉地区
佐倉地区は江戸時代から、佐倉城の城下町として栄えてきました。
明治時代には陸軍の連隊が置かれ連隊のまちとして発展。商業が盛んになりました。
古い建物が今も残る町並みは、佐倉を代表する景観と言えます。

【新町商店街】(昭和30年代)

【鹿島橋】(昭和30年代)
鹿島橋から臼井方面を望んだ風景です。
橋の両側は砂利を敷いただけの道路で、奥の通りには松並木が見られます。

【歴博上空】(平成25年撮影)
昭和58年、佐倉城跡の一部に、国立歴史民俗博物館が開館。毎年、佐倉市内外から多くの来訪者があります。
臼井・千代田地区
成田詣で賑わったかつての宿場町…臼井・千代田地区
臼井地区は、古くは成田山に参詣に出かける人で賑わう宿場町として栄えたまちです。
市制施行後は大規模な区画整理が行われ、京成臼井駅を中心とした計画的なまちづくりが進められました。
千代田地区では近年、染井野の大規模開発が行われました。

【千代田地区の合併を祝うアーチ】(昭和32年)
千代田地区は、昭和32年に現在の四街道市から佐倉市に編入されました。
写真の場所は、現在の千代田小学校前の通りです。

【旧京成臼井駅周辺】(昭和48年)
臼井駅は現在の場所より200メートルほど東の旧街道沿いにありました。昭和40年代の後半から始まった区画整理事業に伴い、現在地に移設されました。

【新しい京成臼井駅と楠】(昭和55年)
この楠は、江戸時代の成田詣について描かれた書物などに名所として登場する臼井の大楠にちなみ、発展する臼井地区のシンボルとして植えられました。今では大きく成長しています。

【染井野の住宅街と七井戸公園】(平成25年撮影)
染井野の開発は、昭和62年から始まりました。平成3年に入居が始まり、以来、現在までに、2403世帯6784人が暮らしています。
七井戸公園は、染井野の開発に伴って整備されました。噴水や野鳥の泳ぐ池などがある親水公園で、休日には付近の住民だけでなく、多くの市民の集まる憩いの場になっています。
志津地区
佐倉の新しい風景…志津地区
市制施行以降、志津地区はその姿を大きく変えました。
首都圏に近いという地理的条件と、山林などの土地が多かったこともあり、昭和40年に行われた市内初の大規模宅地造成(中志津)を始めとして、急速に住宅地としての開発が進みました。

【先崎鷲神社本殿】
志津地区の郊外には、昔ながらの風情が残されています。
市指定文化財の先崎鷲神社の本殿は天保15年(1844年)に建立されました。向拝柱(こはいはしら)の昇り龍・下り龍や壁面の丹波国大江山の酒呑童子退治伝説を題材にした彫刻など、優れた技巧が見られます。

【上志津小学校児童による交通安全パレード】(昭和50年)
写真の場所は、志津出張所前の通りです。現在とはかなり風景が違っているのがわかります。

【ユーカリが丘駅周辺】(平成25年撮影)
昭和52年から始まったユーカリが丘ニュータウン開発は、総面積150.2ヘクタールという佐倉市最大の宅地造成となり、現在5484世帯1万3785人が暮らしています。
根郷地区
佐倉を支える工業のまち…根郷地区
厳しい市の財政状況を改善するため、昭和30年代後半から第1・2工業団地の整備が進められ、企業の誘致が始まりました。
昭和56年には、第3工業団地の造成が開始され、根郷地区は工業地区へと変貌を遂げました。

【旧国鉄佐倉駅】(昭和56年ころ)
佐倉に鉄道が開通したのは、明治27年(1894年)7月です。

【千葉敬愛短期大学】
市内初の大学として、昭和62年に建設されました。

【佐倉南図書館】
平成12年、3つめの市立図書館として、佐倉南図書館が開館しました。
和田・弥富地区
伝統が息づく農村地帯…和田・弥富地区
国道51号の南に広がる和田・弥富地区は、昔ながらの農村地帯。ヤマトイモは県内有数の生産量を誇り、メロンはブランドになるまでになりました。
下勝田の獅子舞や弥富のどんど焼きなど、伝統ある文化が今も生きているまちです。

【旧和田小学校】(昭和30年代)
昭和43年に新校舎が建設されるまで使われていました。

【水不足の年に活躍した水車(岩富)】(昭和49年)

【ちばリサーチパーク】(平成25年撮影)
リサーチパークは、弥富地区と千葉市にまたがる複合研究都市として、平成15年に竣工しました。
この記事に関するお問い合わせ先
企画政策部 企画政策課
〒285-8501 千葉県佐倉市海隣寺町97
電話番号:043-484-3374
ファクス:043-486-8720
更新日:2022年06月01日