「佐倉市教育の日」について

更新日:2025年09月17日

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11月16日は「佐倉市教育の日」です

   佐倉市議会平成17年2月定例会において「佐倉市教育の日を定める条例」が議決され、平成17年3月24日に公布されました。

   ここで「佐倉市教育の日」は11月16日と定められたのです。

「佐倉市教育の日」制定の目的は…

   佐倉市が多くの人材を育てる「まち」として着実な歩みを続けられることは、市民一人ひとりの願いです。その実現に向かい、佐倉市の教育のあり方を共に考え、共に活動することを目的として、11月16日を佐倉市教育の日と定めます。
   佐倉市は、学校教育の充実と生涯学習の振興を通じ、市民が郷土への愛着を深めるあらゆる施策を推進します。そして、市民の教育に対する関心を高め、家庭・地域・学校の教育力を向上させることが、青少年の育成に大きな力となるものと期待します。

『11月16日』とする理由は…

   天保4年(1833)11月16日、佐倉藩主堀田正睦は、佐倉城三ノ丸御殿において藩政改革を宣言しました。この改革は、文武芸術の制、衣服の制、飲食の制、居住の制、音信贈答の制、吉凶の制からなり、日常の綱紀粛正、質素倹約を促す内容でした。とりわけ第1条に掲げた「文武芸術の制」では、「一術免許の制」を定め、藩士が文武芸術の中から何れかの「一術」を習得した場合は、増引を免除しました。
   佐倉藩ではこれより以前、文政の改革で家禄歩引の制度を取り入れていました。家禄を受けている藩士が死去した場合、その家督を相続した者には歩引といって何割かを差し引いた家禄とするというものでした。天保の改革では、この歩引のほかにさらに支給額を減らす増引の制度が加わりました。藩士の子弟は、幼少の時からこの免許を得るために文武芸術の修行に励み、文武奨励の絶好の契機となったのです。藩財政の逼迫といった背景があったとはいえ、正睦公は藩士の士気高揚と人材育成、延いては藩全体の品位向上を意図したものと窺われます。
   この藩政改革が実施されたことによって変貌した様子を、正睦公に仕えた家臣平野重久は『佐倉藩雑史』に、次のように記しています。
  「(略)此の令の出づるや、人士愕然と相視て驚き、粛然と容を改め、謹んで其の令を奉ぜざるは無く、吏人争うて廉勤を励み、少年無頼の者は皆翕然と節を改め、名検を守り、文武を勉励せざるは無く、一藩頓に面目を改め、風俗豹変せり。是より御城内外に塾を設け、一藩の子弟八才より入塾し、読書書学礼節を学ばしむ。(略)」

 「佐倉市教育の日」関連事業について

   佐倉市教育委員会では、「佐倉市教育の日」の制定目的を市民の皆さんと共有し、ともに本市教育の充実と発展に取り組みたいと考え、平成17年度より「佐倉市教育の日」である『11月16日』を中心として関連事業を展開しています。

今年度の関連行事
過去の開催実績については、以下のとおりです。

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