松本 卓巳選手(バドミントン・創政建設/パシフィック車いすバドミントンクラブ)
パリ2024パラリンピックへの出場が決定した松本卓巳選手(創政建設/パシフィック車いすバドミントンクラブ・市内在住、名前の読み方はまつもとたくみ)。初出場となるパラリンピックに向けて、お話を伺いました。
利き手でラケットを持ちながら、車いすを操るパラバドミントン―出会い、環境が原動力に
パラバドミントンを始めたきっかけは、自分のリハビリ中にパリ2024パラリンピックにも出場する里見 紗李奈選手(女子WH1クラス/東京パラリンピックで単複金メダル)が、パラバドミントンをプレーしていると聞いて、自分も興味を持って始めました。最初、「車椅子バドミントン」と聞いたときは、全くイメージできませんでした。どうやったら、利き手でラケットを持ちながら、車いすを動かせるのかと思いました。いざ間近で見ると、本当にすごいと思い、自分にもできるのだろうかと思い、試しにやってみるととても難しかったです。前に進むにしても、曲がってしまったり。慣れるまでは、後ろに下がるのも怖かったですね。バドミントンは未経験でしたが、元々、自分は野球をやっていたので、シャトルの打ち方が、ボールを投げるフォームと似ていたことが少しだけ役に立っていると思います。
最初は、趣味としてパラバドミントンに取り組んでいたので、パラリンピックを意識しはじめたのは、日本パラバドミントン連盟から声をかけていただいて、次世代(JPC次世代アスリート育成強化選手 ※JPC…日本パラリンピック委員会)から入って、強化指定選手に選出されたぐらいからです。やっていて、とても楽しいし、色々な人と出会えて、本当に良い人たちばかりで、良い環境に恵まれているなと思ったので、一緒に頑張ってみようかなと思えたんです。
国際大会での学びを糧に急成長! 1日7時間の練習で追い込み
パリ2024パラリンピックでダブルスを組む長島選手と
国際大会では様々な国から選手が出場していて、試合のたびに勉強させてもらっています。例えばショットの精度とか、クリアの打ち分け(クリア:自陣コートから相手コートのエンドライン付近に向けて打つショット)など選手によって本当に様々なので、とても面白いです。すぐ真似をしてみますが、自分のものにするのはなかなか難しいです。試合で見て学んだことを、日本に戻ってきて繰り返し練習しています。
東京2020パラリンピックの時は、出場する選手たちを間近に見て、本当にすごいなって思いましたし、自分の実力不足を痛感しました。実力のある選手たちは、こんなに練習で自分のことを追い込むんだって、改めて思いましたね。特に、現在、世界ランキング1位の梶原選手は、東京パラリンピックで金メダルを獲りましたが、今は格段レベルが上がっていて、差がついてしまったと感じています。ただ、パラリンピックに出場できない選手もいるので、パラリンピックに出場するチャンスをいただいた自分は、自分に厳しく必死に、梶原選手に一歩でも近づけるようにと思い、毎日練習をしています。
22歳の時に大怪我、家族の支えに感謝
自分が怪我をしたのは22歳のときです。父の会社で働いていて、仕事始めの1月6日にダンプカーの荷台に載っていた重機を下ろす時、自分の操作ミスによって振り落とされてしまいました。その時に上から重機が降ってきて…という感じです。脊髄を損傷してしまい、足が動かなくなってしまいました。その現場には父もいたので、父が一番ショックを受けていたと思います。入院しているときには、多くの方にお見舞いに来てもらって嬉しかったですが、情けない姿を見せてしまった自分への悔しさがあるし、なおかつ足も動かせないって思ったときに、いやぁこれはキツいな…と思いました。この先どうなるんだろうっていう将来への不安を感じたんです。その時、両親は、毎日病院に来てくれて、特別何かを言う感じではなく、自分の性格を知っているので、「何食べたい?」とか、普通に接してくれて、それがとてもありがたかったですね。病院にいる場合じゃないなって考えられるようになりました。結局、何とかなるでしょ精神でやっていたので、自分次第だし、自分でリハビリを頑張ればいいだけだからと思って、そこからですね。もう何も考えずに、前向きに進むことができました。
振り返ると、怪我をしてから色々な世界を見ることができましたし、さまざまな出会いもありました。怪我がなければ、この経験はなかったと思うので、今となっては、怪我をしたことは残念だったけれど、今ではこの様な経験ができて良かったと思えるようになりました。パラリンピック出場の内定をもらえたとき、母にはパリに行けることになったというのは話しました。基本的に父とはあまりしゃべらないので、恥ずかしいところもありますが、父は母に「パリどうなったんだ?」ってそれとなく聞いていたみたいで、喜んでくれていたようですね。
支えてくれている人たちのためにも笑顔でメダルを狙います!
初めて大きな大会に出場するので、少し不安もありますが、笑顔で楽しみながらメダルを狙いたいと思います。今までに自分が勝ったことのない選手も出場していますし、大舞台だからこそ、これまで練習して得たものを全部出し切って勝ち進んで、決勝で、今一緒に練習している梶原選手と戦いたいですね!
パラリンピックに出場したことのある選手たちからもアドバイスをたくさんもらっています。梶原選手からは、車いすの漕ぎ出しとか、ショットの打ち方とか、細かなラケットワークなど、さまざまなアドバイスをもらっています。東京パラリンピックは無観客でしたが、パラリンピックは、緊張感があり、やはり普通の大会とは違う雰囲気になるとも教えてもらいました。また、自分がパラバドミントンを始めるきっかけを作ってくれた里見選手は、自分の出場が決まったときに、「おめでとう!出るからには一緒に頑張ろうね」と喜んでくれました。試合中、自分を見失ってしまうこともあるんですが、コーチから「もう少し落ち着け!」とか、「肩の力を抜け!」など声をかけてもらえると、1人で戦っているんじゃないんだな、多くの人たちの支えがあっての自分だなって実感しますね。自分だけの力でパラリンピックに出られるわけじゃないので、支えてくれている人たちのためにも頑張りたいです。
怪我したからといって、ずっと下を
向いていても何も始まらない、やっぱり多くの方がたに試合を見ていただけるパラリンピックに出るからには、自分たちが輝いているところを見てほしいと思っています。その姿を見ていただけたら、きっと何かを感じ取ってもらえると信じています。
佐倉市民として、自分がメダルを獲得できたら嬉しいですし、佐倉のまちも盛り上がると思うので、ぜひ応援してください!
この記事に関するお問い合わせ先
[福祉部] 障害福祉課
〒285-8501 千葉県佐倉市海隣寺町97
電話番号:043-484-4164
ファクス:043-484-1742
- ご意見をお聞かせください
-
更新日:2024年08月14日