【佐倉市市制施行60周年記念】佐倉の歴史 「佐倉市誕生」

更新日:2023年12月25日

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佐倉市は昭和29年(1954年)3月31日、6町村の合併により誕生しました。
合併当時の人口は3万5196人、平成26年3月31日現在では人口17万5575人に。
今では県内で8番目の人口を擁する都市に発展した佐倉市の60年を振り返ります。

(この記事は、「こうほう佐倉」平成16年3月1日号(944号)から転載したものです)

佐倉市誕生 県下12番目の市として

合併の背景

 戦後、様々な法律が整備され、地方自治制度の充実が図られるのに伴い、市町村の地位は高まりました。
 しかし、国の予算が急激に引き締められ、地方交付金などが大幅に削減されたため、財政難に陥る小さな町村が増えました。
 こうした状況の中、昭和28年(1953年)に地方自治体の行政基盤の確立などを目的として「町村合併促進法」が公布されました。

昭和初期の電報を写した写真

【市制承認を知らせた電報】
「佐倉市設置、自治庁承認す」昭和29年3月13日佐倉町長あてに届けられた電報。この承認を受け、3月31日、佐倉は市としての歴史をスタートさせました。

初めは5町村だった合併構想

 印旛郡では、小規模な合併・編入は行われていましたが、複数の町村に及ぶような合併は行われておらず、佐倉と成田が先鞭(せんべん)をつけることとなりました。
 合併については当初、佐倉町・臼井町・酒々井町・和田村・根郷村の5町村で検討が進められていました。しかし、酒々井町は成田町との合併も考慮していたためか、この合併には消極的でした。そこで、酒々井町を除く4町村で合併を進めることとなり、昭和28年の終わりには弥富村が合併に加わることが決まりました。
 このころから、佐倉市への「市制構想」が現実味を帯びてきました。

奥に昭和30年ごろの佐倉市役所の建物とその前の道路に数名の人々がいる白黒写真

【昭和30年ごろの佐倉市役所】
合併当初は、旧川崎銀行佐倉支店を市庁舎として利用していました。現在の庁舎に移ったのは昭和46年です。

志津村を加えて「市制施行」へ

 当時、市制施行のためには、3万人以上の人口が必要でした。この時点で合併に前向きな5町村の人口の合計は、2万9000人余り。市制施行には若干足りませんでした。
 このため、佐倉か成田かで意見が二分していた酒々井町ではなく、当時阿蘇村(現八千代市)との合併交渉に行き詰まっていた志津村に白羽の矢が立ちました。
 昭和29年(1954)2月の佐倉町議会において、当時の佐倉町長は市制施行を提案。議会の賛同を得て市制施行促進本部が設置され、関係町村へ議員が派遣されました。
 その後も様々な困難があり、市制施行が危ぶまれることもありましたが、志津村との交渉を何度となく重ね、ようやく意見の一致を見ました。
 昭和29年、各町村の3月議会では、満場一致で町村の廃止と佐倉市の設置が可決され、ここに佐倉市が県下12番目の市として産声をあげたのです。
 現在の市の7地区は、合併当時の旧町村が基盤となっています。

2名の男性がホースの先を持ち、奥の機械を数名の人達が操作している道路舗装工事の白黒写真

【道路舗装工事の様子】(昭和38年)
合併当時、悩みのタネは市内の道の悪さでした。雨が降ると泥沼のようになり、歩くのにも苦労したそうです。

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