【児童向け】佐倉順天堂の人物(じんぶつ)・歴史(れきし)

更新日:2022年06月01日

ページ番号: 11329

はじめに

このページでは、佐倉順天堂にかんする人物(じんぶつ)や歴史(れきし)について、児童のみなさんむけに、重要(じゅうよう)なことをまとめています。

また、ワークシートもダウンロードできるようになっていますので、ページをみながらぜひ解いてみてください!

佐藤泰然(さとうたいぜん)はどんなひと?

佐藤泰然のプロフィール

佐藤泰然の肖像写真

佐藤泰然は、今から約200年前の1804年に生まれました。

20代後半の時に医者になろうと決心し、長崎(ながさき)に留学(りゅうがく)しヨーロッパの医学を学びました。その後、江戸(えど)で塾(じゅく)をひらきました。

佐倉では、殿様(とのさま)の堀田正睦(ほったまさよし)がヨーロッパの学問を学ぶことをすすめていました。

そして、1843年に佐倉に引っ越して「順天堂」をひらきました。

順天堂では、すぐれた知識(ちしき)を門人(もんじん)におしえ、ひとびとを病気やケガからすくいました。

ほかにも、正睦にアドバイスをしたり、佐倉藩(はん)の医者に医学をおしえたりして、藩の正式な医者になるまで10年かかりました。

泰然がおこなった治療(ちりょう)

天然痘(てんねんとう)の予防接種(よぼうせっしゅ)をおこなう

むかしから、「天然痘」という感染症(かんせんしょう)は、人々におそれられていました。

高い熱(ねつ)が出て、死んでしまう人もおおい病気でした。

泰然は、天然痘の予防接種(よぼうせっしゅ)を佐倉でおこないました。

長崎(ながさき)で成功(せいこう)してから、わずか6か月後のことでした。

泰然は、長崎でこの技術(ぎじゅつ)を学んでいたので、いちはやく佐倉でおこなうことができたのです。

種痘の接種用器具7種類

皆さんも、病気の予防接種の注射(ちゅうしゃ)などをうけたことがあると思います。

このころは、まだ注射ではなく写真のような小さなメスやガラス管(かん)などを使っていました。

また、病気になっていないのに医者(いしゃ)にかからなければならなかったため、当時(とうじ)のひとびとはあまりこの予防接種をやりたがりませんでした。

そこで、殿様(とのさま)の堀田正睦(ほったまさよし)は、自分の子どもたちに予防接種をおこない、害がないことを知らせ予防接種をうけるように、みなに伝えました。

こうして、予防接種を受ける人がふえ、天然痘にかかる人はすくなくなったのです。

むずかしい手術(しゅじゅつ)を成功(せいこう)させる

現在、病気やケガをなおすために手術をおこなうことは当たり前となっています。

ですがが、このころはむずかしい手術を行うことができる医者はおおくありませんでした。

泰然は、乳(にゅう)がんの治療や、帝王切開(ていおうせっかい)などの手術を行い成功させています。

こうした手術で用いられた道具は、写真のようなものがのこっています。

手術道具一式
6種類のピンに入った薬品

左から

  • 「のこぎり」…骨(ほね)を切るために使う
  • 「弾(たま)ぬき」…きずぐちの異物(いぶつ)をとりのぞく
  • 「焼きごて」…きずぐちの血を止めるために使う

ほかにも、次の写真の「薬品類(やくひんるい)」ものこっています。

なんと泰然は、こうした手術を麻酔(ますい)なしでおこなったことがわかっています。

当時の麻酔は、副作用(ふくさよう)もつよいため、泰然は積極的にこれをつかわなかったそうです。

順天堂のようす

門人(もんじん)たちはどのように勉強(べんきょう)していたか

順天堂の門人(もんじん)たちは、まずオランダ語の勉強(べんきょう)をしました。

当時の日本にあったヨーロッパの医学書(いがくしょ)がオランダ語で書かれていたためです。

そして、先生の講義(こうぎ)を聞いたり、先生が訳した医学書を書き写したりして学びました。

モスト内科書の見返し部分の写真

記念館には、写真の「順天堂塾本(じゅんてんどうじゅくほん)」と書かれた順天堂の授業(じゅぎょう)で使われた教科書(きょうかしょ)がのこっています。

当時、これらの本はとても貴重(きちょう)でした。

ですので、人から借りて書き写したり、年に2、3回、江戸にオランダ語の本が来るのに合わせて、佐倉から江戸(えど)まであるいていって本を買った門人もいたようです。

佐藤家のひとびと

すぐれた弟子(でし)の中から後継者(こうけいしゃ)をきめる

泰然は、自分の子どもにあとをつがせるのではなく、すぐれた弟子の中から後継者を決めました。

泰然の子どもたちは、泰然と仲の良かった医者の家に養子に(ようし)入り活躍(かつやく)しました。

佐藤家のひとびとをまとめると、つぎのようになります。

佐藤 泰然(さとう たいぜん)

佐藤泰然の肖像写真

順天堂の開祖(かいそ)。
佐倉順天堂をひらく。

佐藤 尚中(さとう たかなか)

佐藤 尚中の肖像写真

順天堂2代目。はじめは、泰然の弟子(でし)。
泰然の後継者(こうけいしゃ)となり、東京に順天堂医院をひらく。

松本 良順(まつもと りょうじゅん)

松本良順の肖像写真

泰然の次男(じなん)。
江戸幕府(えどばくふ)や陸軍(りくぐん)の医師として活躍。
牛乳や海水浴(かいすいよく)が健康によいことをつたえる。

林 董(はやし ただす)

林董の肖像写真

泰然の五男(ごなん)。
イギリスに留学(りゅうがく)し、外交官(がいこうかん)として活躍。

佐藤 進(さとう すすむ)

佐藤進の肖像写真

順天堂3代目。はじめは、尚中の弟子。
尚中の長女の志津と結婚(けっこん)し、あとをつぐ。
ドイツに留学し、アジア人ではじめて医学博士(いがくはかせ)となる。

佐藤 志津(さとう しづ)

佐藤志津の肖像写真

尚中の長女(ちょうじょ)。
女子美術学校(じょしびじゅつがっこう)の経営(けいえい)を再建(さいけん)する

(注意)佐藤志津については、佐倉市在住の漫画家・木村直巳(きむらなおみ)先生が書いてくださった「佐倉が生んくだ女子教育の先駆者 佐藤志津」 もごらんください。

【佐倉学】佐倉順天堂記念館ワークシート解説

佐倉順天堂記念館ワークシートの回答と解説を掲載しています。上記リンクよりダウンロードしてください。

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